中日春秋(2007/07/31)

中日春秋(2007/07/31)に関する記事です。

 
2007/07/31(火)
中日新聞朝刊の一面コラム「中日春秋」は、昨日訃報が掲載された小田実さんの哀惜記事でした。小田実さんがホメロスの長大な英雄叙事詩「イリアス」翻訳に取り掛かっているということを前にも書いたばかりなので、その早すぎる訃報はとても残念です。
先日の宮本顕治氏につづいて、戦後の反戦運動を象徴する人物が相次いで亡くなってしまいました。宮本顕治氏の訃報が伝えられたときにも思いましたが、これらの傑出した人物をきちんととりあげた中日新聞に良識を感じました。

そういえば、宮本顕治氏について、安倍首相があっさりしたコメントをしたにとどまったのに対して、敵手だった中曽根康弘氏が

「戦争が終わってから、いろいろな困難や妨害にも遭遇しながら共産党の骨組みを作り、力を伸ばしていった。国会では野党として自民党内閣に一番厳しい態度を取ってこられた。考え方、政策は違うが、信念を貫いて堂々とおやりになる姿を見て敬意を表していた。私が首相になって間もなく国会で質問を受けたが、かなりよく準備された質問で論理的に攻めてきた。敵ながらあっぱれだと感じていた」


と、しっかりしたコメントをされたのは、やや意外にも思えましたが、今を基準にして振り返ってみると、当時は、まだまだ健全な政治が行われていたんだなぁ、という思いがします。

文学が好きな方には、宮本顕治氏というと、雑誌「改造」の懸賞で、わが国最高の批評家と言われる小林秀雄氏の「様々なる意匠」をおさえて1位を取ったという話が思い浮かぶかもしれません。宮本顕治氏の論文は、「敗北の文学」という芥川龍之介論です。実を申しますと、私は、小林秀雄の著作は、「本居宣長」以外はあらかた読んでおります。一時期かなりのファンであったのですが、最近では、やはり戦争とか権力の横暴とかいう試金石を前には、小林秀雄氏の、ベルグソン流の(?)現実論や常識論は、やや弱かったのではないか、という気がしてならないのです。例の雑誌「改造」の懸賞が募集されたのは、第2次世界大戦の前夜の、きなくさい雰囲気がたちこめる時代でした。年配の方からは、現在の憲法9条軽視の風潮は、当時を思い出させる、という言葉がよく聞かれますが、このような時代においては、戦争と横暴な権力に真正面から立ち向かった人物の大きさを、ますます感じるようになっています。何か反抗的な発言をすることは、インターネット上でさえ、やっぱり怖いのです。

小田実さんの「イリアス」翻訳の一部が載ったすばる2007年7月号には、「プロレタリア文学の逆襲」と題する記事が組まれています。不遇な環境に閉じ込められた若者たちのことを考えると、もっともなことだと思います(まぁかくいう自分も若者の部類ですが)。私が最近よく思うのは、世論が右か左かの違いしか区別しないという状況を知りつつも、左を叩き続けた戦後の知識人の功罪についてです。彼らがこの先も、これらの若者に語彙を貸すことをしないようならば、知識人というのは、要するに、権力の役に立つ存在ではないか? と言ってしまってもいいと思います。

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